【1】の続き。
「初め武揚らの上書するや、義豊、愀然(しょうぜん)として人に語りて曰く、
我、昔日、昌宜と倶に死せざる所以の者は、期するに、一に君の冤を雪ぐにありしなり。今、此(かく)の如くんば、唯、死あるのみ。即ち寛典に処(お)らんには、吾、何の面目ありてか昌宜に地下に見(まみ)えんやと」
殉節両雄之碑にある一節。この元ネタ(原典)がどこにあるのかは忘れてしまいましたが、土方にとってただ近藤の無念をはらさんがための戦だったという想いがこめられているように思えます。
この「あの世の近藤にどんな顔であえばいいんだ」は大河ドラマでも山本耕史さんが言ってくれてましたねwあの台詞をきいたとき、胸がじーんと熱くなったのを覚えてます。さて、では
大鳥の場合はどうなんでしょうか。
根本的に彼は土方とは逆のベクトルに立っている人物だと思います。
土方が本能的なもので行動するタイプであるのに対し、大鳥は頭で考え行動するタイプ。
故に、
「
前にも記せるが、我輩元より戦を好まざれど、不意の夜襲により事起こり遂に知府事まで立ち退かるる程の次第に至りしは実に遺憾に堪えず」(南柯紀行)
という具合に、突然の事態に臨機応変に動けない。
論を説く器でがあっても、兵を操る器ではないのです。
しかも彼はこの戦争を終着点とせず、ただの通過点と考えている。
どうしてかといえば、考えてなかったら投獄中で腐ってるはず・・・・というなんとも根拠のない理由なんですが;
でも、あの戦争に全てをかけていたなら、投獄されている間に葡萄酒や西洋の勉強なんてしたりしませんて。
こうしてみると、互いの戦争に対する視点が異なっているのが分かります。
まとめ?まったくタイプの違う2人。
表面上普通にすごしていても、心の中では反りはあわなかったかもしれませんね。
人としての生き方、性格が違いますから、波長が合う・・・・なんてことでもないと仲良くなれそうにありません。
上司と部下の関係としても、かなり気まずかったんじゃないでしょうか。
なにせ勝ち続ける部下と、負け続きの上司。負けても笑ってしまえる明るい大鳥に、土方は神経を尖らせていそうです。
と、この辺りが限界(~ヘ~;)
もっと時間かけて資料漁ればマシな話が出来たのですが、如何せんまだそんな余裕新人にはありません;
でもこういったことを考えるのは大好きなので、ない記憶掘り起こしてこれからもちょくちょく書いてみたいと思います。


ランキングに参加しています。
気に入ってくださったらクリックお願いしますw