日々の事とか歴史の事とか。
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”狂歌”をご存知だろうか。
狂うに歌と書いて狂歌。簡単に言えば和歌のパロディになる。 古くは平安時代からその名はあったが、江戸後期になって一大ブームとなった文化である。 その花開かせるのに一役買ったのが、今回紹介する大田南畝(おおたなんぽ)である。 ぼじゃない。ぽである。そこは間違えないで頂きたい。 大田南畝(一七四九〜一八二三)、世間一般に「蜀山人」の号で親しまれた時の狂歌師である。 本名大田直次郎、字は子耜(しし)、名は譚(たん)と言った。晩年は将軍家斉の息子直七郎と同じ直の字を畏れ多いと憚り、直次郎を七佐衛門と改める。 狂名・狂詩においては寝惚先生、狂詩作者としては四方山人(さんじん)、壇那山人、新寧(しんねい)武子(ぶし)、狂歌師としての狂名は四方(よもの)赤(あか)良(ら)、また戯作者としての戯号は風鈴山人、山手(やまての)馬鹿人(ばかひと)等。この内若い頃から用いていた南畝という号が、最もよく知られている。 さてさて。そろそろ堅苦しい口調はやめてくだけた感じでいきましょう。 平賀源内、恋川春町、五世市川団十郎、山東京伝、式亭三馬、上田秋成・・・・・・ 上に挙げたのは、江戸文化を鮮やかに彩った誰もが知る有名人。 この全員に南畝さんが面識あったと言ったら驚きますか? 当時の文人にとって、大田南畝の名を知らぬ者なぞいないという程の有名人だったんです。 狂歌だけではなく、黄表紙・洒落本・漢詩・和歌など多くの文芸を嗜み、又出版していました。 そんな江戸の人々に知らぬ者はいない有名人が、何故現代の我々は知らないのでしょう。 それは、おそらく狂歌自体が死んだ文学であるからなのかもしれません。 例えばこの作品。 寄鰻驪恋 あなうなぎいづくの山のいもとせを さかれてのちに身をこがすとは (『万載』十二・恋下) 「どこの山の芋が成った鰻だか知らないが、妹背の仲を裂かれた上に、背をさきひらかれて蒲焼になりながらも、相手の事を思い焦がれているとは、あぁ、なんという情けないことだ」 解説を見ずに理解できたあなた、相当の江戸通ですね。 もう3作品。こちらは解説なくともわかると思います。 昨日までひとが死ぬると思ひしが おれが死ぬとはこいつはたまらん 世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあいたい わが禁酒やぶれ衣となりにけりついでもらおうさしてもらおう この歌を見て分かる通り、笑えるものじゃありません。 そう、狂歌はその時代の言葉や文化、教養をベースにしているため、現代人がその歌を聞いてもすぐには笑えないのです。 といっても、狂歌方面以外でもその交遊関係は魅力的だし、極度の記録魔だった南畝は膨大な著書・日記を残しています。 日記には河童だの当時の政治など思ったこと聞いたことを全て書き綴っており、大変読んでいておもしろいw 江戸時代のリアルが見えてきます。 <参考図書> ![]() ![]() ![]() 中野三敏・浜田義一郎・揖斐高編『大田南畝全集』全二〇巻(岩波書店、一九八五〜一九九〇年) |
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