久し振りにとんかつを食べて、若干胃がもたれ中。
昔は結構濃いものを好んでたけれど、最近は濃い食事の中でも、あっさりしたものを選ぶ傾向がでてきて、内心喜び中。(己では自制しない←え…)
ラーメンだって昔はとんこつ大好きだったのに今じゃまったく食べる気0。しょうゆばっかり。
え、あまり変わりない?
まぁきにしない(笑)
歳なのか嗜好の変化か
どちらにせよ体のためにはほんのちょっと喜ばしいことですよね。
あとは運動か…
2008-05.15 Thuこってり[日常]
Time[21:42] Comment[0] Trackback[0]
2008-05.13 Tue【バラガキ】中場利一[中級]
Time[19:57] Comment[0] Trackback[0]
ひたすら土方が”バラガキ”である1冊
読みやすかったので2日で読破してしまいました。
筋道の同じもので、いかに読者を惹きつけるか、時代小説の難しいところです。
今回は先が気になるというより、バラガキなトシが読んでいて楽しいんですね。
さて、この時代の流れとしては、池田屋事変までになっております。
土方が”バラガキ”でなくなった=池田屋事変という区切りになるみたいですね。
確かに、池田屋事変は新撰組の中において大きな転換期でありました。
この事変によって、新撰組は天下にその名を轟かせ、名声と金を得た。
しかし、それだけではありません。
この池田屋事変のあった年の5月、近藤は市中見廻りを続ける毎日が永劫に続くのであれば、隊を解散することもやぶさかではないと幕府に提出しています。
池田屋事変が起こらなければ、もしかすると新撰組は解散・・・・という結末を迎えていたのかもしれない。
池田屋事変は、天下にその名を知らしめただけでなく、新撰組そのものの存続をも変えた事件でもあったのです。
それにしても、作中皆様恐ろしく血気盛んで、人が死ぬのなんて屁でもない御様子。
沖田なんていっちゃってますよ。
これを男らしいととるか、行き過ぎているととるか・・・・・・

36円〜
600円
読みやすかったので2日で読破してしまいました。
筋道の同じもので、いかに読者を惹きつけるか、時代小説の難しいところです。
今回は先が気になるというより、バラガキなトシが読んでいて楽しいんですね。
さて、この時代の流れとしては、池田屋事変までになっております。
土方が”バラガキ”でなくなった=池田屋事変という区切りになるみたいですね。
確かに、池田屋事変は新撰組の中において大きな転換期でありました。
この事変によって、新撰組は天下にその名を轟かせ、名声と金を得た。
しかし、それだけではありません。
この池田屋事変のあった年の5月、近藤は市中見廻りを続ける毎日が永劫に続くのであれば、隊を解散することもやぶさかではないと幕府に提出しています。
池田屋事変が起こらなければ、もしかすると新撰組は解散・・・・という結末を迎えていたのかもしれない。
池田屋事変は、天下にその名を知らしめただけでなく、新撰組そのものの存続をも変えた事件でもあったのです。
それにしても、作中皆様恐ろしく血気盛んで、人が死ぬのなんて屁でもない御様子。
沖田なんていっちゃってますよ。
これを男らしいととるか、行き過ぎているととるか・・・・・・


2008-05.12 Mon5月11日[このブログについて]
Time[20:49] Comment[0] Trackback[0]

トーマス・グラバーといえば、幕末に活躍した武器商人。坂本竜馬や伊藤博文など維新を担った者達とも関わりがあり、そしてビールで有名なかのキリンホールディングスの基礎をつくった人物としても有名。
一度でいいから長崎のグラバー邸跡に行ってみたいものですw
上の写真は神戸の異人館のもの
あらすじ(「BOOK」データベースより)
21歳のイギリス商社員トマス・グラバーは、アヘンの蔓延する魔都・上海で密航中の岡藩の元武士山村大二郎と出会う。二人は西洋帆船で東シナ海を越え、開港まもない新天地・長崎のオランダ出島に降り立った。…薩摩藩の五代才助の信用を得たグラバーに、艦船取引の商談が舞い込む。
独立したトマス・グラバーの茶葉の再生輸出も順調だった。茶屋の娘お園との愛。維新の若き志士たち、坂本龍馬、高杉晋作、五代友厚らとの交友。…艦船、武器の取引で長崎随一の財を築いたグラバーの生涯と幕末・維新期の日本を浮き彫りにする。


2008-05.11 Sunタイトル改め[お知らせ]
Time[20:33] Comment[0] Trackback[0]
またまたタイトル変更いたしました。
「江戸時代、もっと知ってみませんか?」改め「ことこと歴史散策日記」
となりました。以後ご了承くださいませ。
理由は簡単で、江戸時代そのものには触れないなと考え直したから・・・・という単純なもの。
まったく申し訳ない限り。まだこのブログの方向が固まっていない証拠ですね;
あっちにいったりこっちにいったり不安定なブログですが、
歴史関連中心であることは変わることはありません。
改めまして、
「ことこと歴史散策日記」
をよろしくお願い申し上げます
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「江戸時代、もっと知ってみませんか?」改め「ことこと歴史散策日記」
となりました。以後ご了承くださいませ。
理由は簡単で、江戸時代そのものには触れないなと考え直したから・・・・という単純なもの。
まったく申し訳ない限り。まだこのブログの方向が固まっていない証拠ですね;
あっちにいったりこっちにいったり不安定なブログですが、
歴史関連中心であることは変わることはありません。
改めまして、
「ことこと歴史散策日記」
をよろしくお願い申し上げます
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2008-05.10 Sat【大田南畝】[上級]
Time[15:16] Comment[2] Trackback[0]
”狂歌”をご存知だろうか。
狂うに歌と書いて狂歌。簡単に言えば和歌のパロディになる。
古くは平安時代からその名はあったが、江戸後期になって一大ブームとなった文化である。
その花開かせるのに一役買ったのが、今回紹介する大田南畝(おおたなんぽ)である。
ぼじゃない。ぽである。そこは間違えないで頂きたい。
大田南畝(一七四九〜一八二三)、世間一般に「蜀山人」の号で親しまれた時の狂歌師である。
本名大田直次郎、字は子耜(しし)、名は譚(たん)と言った。晩年は将軍家斉の息子直七郎と同じ直の字を畏れ多いと憚り、直次郎を七佐衛門と改める。
狂名・狂詩においては寝惚先生、狂詩作者としては四方山人(さんじん)、壇那山人、新寧(しんねい)武子(ぶし)、狂歌師としての狂名は四方(よもの)赤(あか)良(ら)、また戯作者としての戯号は風鈴山人、山手(やまての)馬鹿人(ばかひと)等。この内若い頃から用いていた南畝という号が、最もよく知られている。
さてさて。そろそろ堅苦しい口調はやめてくだけた感じでいきましょう。
平賀源内、恋川春町、五世市川団十郎、山東京伝、式亭三馬、上田秋成・・・・・・
上に挙げたのは、江戸文化を鮮やかに彩った誰もが知る有名人。
この全員に南畝さんが面識あったと言ったら驚きますか?
当時の文人にとって、大田南畝の名を知らぬ者なぞいないという程の有名人だったんです。
狂歌だけではなく、黄表紙・洒落本・漢詩・和歌など多くの文芸を嗜み、又出版していました。
そんな江戸の人々に知らぬ者はいない有名人が、何故現代の我々は知らないのでしょう。
それは、おそらく狂歌自体が死んだ文学であるからなのかもしれません。
例えばこの作品。
寄鰻驪恋
あなうなぎいづくの山のいもとせを さかれてのちに身をこがすとは (『万載』十二・恋下)
「どこの山の芋が成った鰻だか知らないが、妹背の仲を裂かれた上に、背をさきひらかれて蒲焼になりながらも、相手の事を思い焦がれているとは、あぁ、なんという情けないことだ」
解説を見ずに理解できたあなた、相当の江戸通ですね。
もう3作品。こちらは解説なくともわかると思います。
昨日までひとが死ぬると思ひしが おれが死ぬとはこいつはたまらん
世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあいたい
わが禁酒やぶれ衣となりにけりついでもらおうさしてもらおう
この歌を見て分かる通り、笑えるものじゃありません。
そう、狂歌はその時代の言葉や文化、教養をベースにしているため、現代人がその歌を聞いてもすぐには笑えないのです。
といっても、狂歌方面以外でもその交遊関係は魅力的だし、極度の記録魔だった南畝は膨大な著書・日記を残しています。
日記には河童だの当時の政治など思ったこと聞いたことを全て書き綴っており、大変読んでいておもしろいw
江戸時代のリアルが見えてきます。
<参考図書>






大田南畝 (人物叢書)
中野三敏・浜田義一郎・揖斐高編『大田南畝全集』全二〇巻(岩波書店、一九八五〜一九九〇年)
狂うに歌と書いて狂歌。簡単に言えば和歌のパロディになる。
古くは平安時代からその名はあったが、江戸後期になって一大ブームとなった文化である。
その花開かせるのに一役買ったのが、今回紹介する大田南畝(おおたなんぽ)である。
ぼじゃない。ぽである。そこは間違えないで頂きたい。
大田南畝(一七四九〜一八二三)、世間一般に「蜀山人」の号で親しまれた時の狂歌師である。
本名大田直次郎、字は子耜(しし)、名は譚(たん)と言った。晩年は将軍家斉の息子直七郎と同じ直の字を畏れ多いと憚り、直次郎を七佐衛門と改める。
狂名・狂詩においては寝惚先生、狂詩作者としては四方山人(さんじん)、壇那山人、新寧(しんねい)武子(ぶし)、狂歌師としての狂名は四方(よもの)赤(あか)良(ら)、また戯作者としての戯号は風鈴山人、山手(やまての)馬鹿人(ばかひと)等。この内若い頃から用いていた南畝という号が、最もよく知られている。
さてさて。そろそろ堅苦しい口調はやめてくだけた感じでいきましょう。
平賀源内、恋川春町、五世市川団十郎、山東京伝、式亭三馬、上田秋成・・・・・・
上に挙げたのは、江戸文化を鮮やかに彩った誰もが知る有名人。
この全員に南畝さんが面識あったと言ったら驚きますか?
当時の文人にとって、大田南畝の名を知らぬ者なぞいないという程の有名人だったんです。
狂歌だけではなく、黄表紙・洒落本・漢詩・和歌など多くの文芸を嗜み、又出版していました。
そんな江戸の人々に知らぬ者はいない有名人が、何故現代の我々は知らないのでしょう。
それは、おそらく狂歌自体が死んだ文学であるからなのかもしれません。
例えばこの作品。
寄鰻驪恋
あなうなぎいづくの山のいもとせを さかれてのちに身をこがすとは (『万載』十二・恋下)
「どこの山の芋が成った鰻だか知らないが、妹背の仲を裂かれた上に、背をさきひらかれて蒲焼になりながらも、相手の事を思い焦がれているとは、あぁ、なんという情けないことだ」
解説を見ずに理解できたあなた、相当の江戸通ですね。
もう3作品。こちらは解説なくともわかると思います。
昨日までひとが死ぬると思ひしが おれが死ぬとはこいつはたまらん
世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあいたい
わが禁酒やぶれ衣となりにけりついでもらおうさしてもらおう
この歌を見て分かる通り、笑えるものじゃありません。
そう、狂歌はその時代の言葉や文化、教養をベースにしているため、現代人がその歌を聞いてもすぐには笑えないのです。
といっても、狂歌方面以外でもその交遊関係は魅力的だし、極度の記録魔だった南畝は膨大な著書・日記を残しています。
日記には河童だの当時の政治など思ったこと聞いたことを全て書き綴っており、大変読んでいておもしろいw
江戸時代のリアルが見えてきます。
<参考図書>



中野三敏・浜田義一郎・揖斐高編『大田南畝全集』全二〇巻(岩波書店、一九八五〜一九九〇年)




